書き手を信頼する心

あなたが本から学ぶのに、書き手の「書き方、表現の仕方」の巧さは切っても切れないほど重要な要素です。

そして、書き手が「〝信頼〟のできる人物かがどうか」ということは、もっと重要です。

いくらいいことを言っていても、その書き手があなたにとって「信頼に足る人物」ではない限り、心に響かないのは当たり前でしょう。

(かく言う私も、「信頼ゼロ」の状態からスタートしたばかりなので、あまり言えた義理ではないのですが、少しでも読者さんからの信頼を得ようと、今現在著作に真摯に取り組んでいるつもりです。どうか温かい目で見てくださると幸いです。)

ですから、本を買う前にレビューを見たり、その人の情報を知ろうとしたりすることはもちろん大切なことです。

 

しかし、どれだけ客観的に見て信頼されている人でも、最終的にはあなたが読んで〝無意識〟に*判断*することになるわけです。

「この著者は、信頼できる。」

と思えれば、文章は自然にあなたの心に届くし、

少しでも「この著者は、胡散臭いな…」

と思えば、いくら真剣に読んでも右から左へ、内容はすり抜けていきます。

 

では、この判断する行為に果たして〝意味〟があるのでしょうか?

極論を言ってしまえば、

あなたと著者考えが100%一致する」なんてことは〝あり得ない〟のです。

持って生まれた性格も違えば、これまでの境遇、人生経験も全く違うことでしょう。

 

本のあら探しをすればキリがないですし、全く意味のない行為です。

「この人の言っていることは疑わしいな。本当か?」

「ここの文章、言い回しおかしくないか?」

 

疑いの目を向ければ見えるものも見えません。

書き手を〝批判・非難〟する心で読めば、あなたにとって〝学びになるはず〟の本もあなたには届くことはないでしょう。

 

では、どう読めばいいのか。

 

まずは、「本を〝評価〟しようとしない」ことから始めましょう。

あなた自身の先入観を、一度頭の隅に置いておいて、出来るだけ〝まっさらな〟気持ちで読んでみるのです。

書き手を〝無条件〟で信頼し、「学べることは、きっとある」という気持ちで本と向き合ってみましょう。

 

さらに踏み込むには、〝*分かり合えない*〟前提で読むことです。

全著者は、自分の胸の内を出来るだけ人に分かりやすく文章化しようと試みますが、

文章では伝わりきらない部分が多分にあります。

 

そして、それを読んで受け取るのは当然ながら「他人」である個々人です。

会って話すならまだしも、文字には表情も音もありません。

文字の限界。他人同士。

 

だからこそ、「分かり合えないけど、自分に活かせることはきっとあるはずだ」という心構えで読むのです。

文字には確かに限界がありますが、大切な「伝えられること」はたくさんあるのですから。

 

 

ここまでの話を読んで、「何故読み手が、わざわざ書き手を想って寄り添わなくてはいけないのか…」と不満の心を漏らした方も少なくはないでしょう。

 

しかし、そう思うのも全て他ならぬ〝あなた自身〟のためなのです。

 

本の「価値」を決めるのは、あなたの〝態度〟次第。

どうせ読むなら、意味のある読書をしませんか。

 

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