吃音が治る=非吃音者と同じ感覚になるということ

吃音が治るということは、〝どもらなくなる〟ことではありません。

どもっても、そのことに全く〝関心〟がなくなるということです。

 

非吃音者でも、噛む時は、結構ありますよね。

しかし、噛んだところで「あ、噛んでしまった。」としか思いません。

「どうしてどもってしまったんだ…」とはならないのです。

 

私たち吃音者は、「過去の吃音の苦しみ」や、「深く負った傷」を忘れることはできませんが、「克服」することで、非吃音者と同じようにストレスを感じることなく話すことができるようになります。

わざわざタイミングを計ることなく、

どもることもあるでしょうが、そこに関心がいくことが無くなります。

「あ、噛んでしまった。」それで終わりです。

どもっても、どもらなくても別にどっちでもよくなるのです。

吃音が治ることは、そんなにいいことではない

実は、吃音を克服するに当たってあなたに言っておかなければならないことがあります。

それは、吃音が治ることは、あなたにとってそれほど「いいことではない」ということです。

 

「そんなわけあるか!」と怒られるかもしれませんが、

吃音が治るということは、「非吃音者」と同じ状態になるということです。

周りの非吃音者を見ても分かるように、「思い通りに話せる」ことは、別に特別すごいことでも何でもありません。

確かに、あなたが長年抱えていた「話すことに対する極度のストレス」から解放されて、行動の幅が広がるのは間違いないでしょう。

でも、言ってみればそれだけなのです。

誰かから祝福される訳でもありませんし、自分がすごい人間になれる訳でもないのです。

吃音が治っても、結局は自分の行動次第。

決して「バラ色の人生」にはならないのです。

 

ここで、吃音が治ってしまうことの大きな2つの〝デメリット〟をお話しましょう。

そう、吃音が治ることは、あなたにとって、とても都合が悪い可能性が高いです。

心して聞いてくださいね。

 

1、吃音が治ることで、「吃音さえ治ったら…○○なのになぁ…」という幻想が見れなくなる。

2、吃音が治ることで、あなたは、ごく少数派の「吃音者」から、多数派の「非吃音」に成り代わる。つまり、親しい人から〝特別扱い〟されなくなる。

「吃音を持っていて、可哀そうだね…」と同情されることがなくなるのです。

 

吃音が治らない大きな要因は、これら2つのデメリットを被ることを受け入れきれないからなのです。

特に、2の「特別扱いされなくなる」というデメリットは、思いの外大きいです。

「特別扱い」されなくなると、ただの〝一般人〟と化して、自分の足で生きていかなければいけないのです。

 

自分の心に問いかけてみて下さい。

「自分はこの2つのデメリットを受け入れる覚悟はできているのか…?」と。

 

吃音を治そうと努力する前に、「バラ色ではない一般人になる」覚悟を徐々につけていきましょう。

その覚悟さえできれば、あなたの吃音はいとも簡単に消え失せるでしょう。

 

自分に全責任を負う

あなたは、吃音によって「自分だけが辛い思いをしている」と思っていませんか?

同じ吃音者の人はもちろん、

種々様々ではありますが、人間だれしも生きにくい現実に苦しんでいます。

 

コミュケーションが上手な為に、多くの人間関係に絡まれ、裏切られて心に深い傷と多額の借金をしたり、

身体的な障害を持っていて、自由に動き回ることが出来ず、不自由な生活を強いられていたり、

お金が無くて、極貧生活を強いられていたり、

さらに、貧困な国では、今にも飢えて死にそうに彷徨わないといけなかったり。

 

大きな災害に遭った人は、全てを失い、一からリスタートしなくてはいけない状況に苛まれていたり、

事故や病気で大切な人を無くした人は、その悲しみをずっと背負いながらこれから生きなければいけなかったり、

紛争国では、内戦でいつ死ぬか分からない状況でずっとおびえながら暮らさなければいけなかったり。

 

これらで苦しんでいる人たちが少なからずいることは、あなたにも分かるでしょう。

その痛切な苦しみと、あなたの今背負っている「吃音」の苦しみを、一度比べてみてはいかがでしょうか。

 

一概に比べられるものではありませんが、

少なくとも〝死を迫られれている〟苦しみよりは、ずっとましだということが理解できるはずです。

そうでなくても、前述の苦しみは、「直ぐに状況が改善する」方法はなく、「一生付きまとわれる」ものが多いです。

 

「吃音」の悩みは、あなたが思っているよりもずっと小さなものなのです。

なぜなら、「吃音」の苦しみは、

あなたが変われば、直ぐにでも〝解消〟に向かうからです。

 

 

「吃音」の苦しみは形容しがたい辛いものですが、

・苦しめているのは、他でもないあなた自身であるということ。

・「吃音」の悩みはあなたが思っているよりも、ずっと〝ちっぽけ〟だということ。

・「吃音」は、あなたの勇気と努力次第で、直ぐにでも克服に向かうということ。

どうかこのことを忘れずに日々の生活を送ってください。

 

 

話したくないからと言って、コミュニケーションを回避してはいけない

どもりたくないから、話したくない。

会話をしたくない。

その気持ちは痛い程分かりますが、だからといって、コミュニケーションを回避しようとしてはいけません。

無視をすると、相手も、自分自身も傷つけることになります。

無視は、一時凌ぎの行為でしかなく、無視して良かったと思うことはまずないでしょう。

おそらく、逃げてしまった自分への〝罪悪感〟を募らせるだけでしょう。

 

だからといって、わざわざどもりに無理して話すのも、自分を苦しめるだけでしょう。

では、どうすればいいのか。

ここでよく考えて下さい。

「話す」ことだけが、相手とコミュニケーションをとる手段でしょうか。

スピーチの場合は、そうはいかないですが、

相手と会話する場合は、他にも気持ちを伝える手段は色々とあります。

 

①笑顔で会釈をする。

挨拶や、返事の代わりに使うことが出来ます。

中途半端にやると、無視されたと思われる可能性があるので、やるなら思いっきりやりましょう。

相手の目を見て、笑顔ですることも大事なポイントです。

②ボディランゲージ

返事の是非や、場所や人など「その場で目視できるもの」を指す時に使えます。

手を使うことで相手がある程度「あなたが、何を伝えたいか」を察してくれることが多いので、言葉が補助的なものになり、より話しやすくなると思います。

数量なんかも、両手を使って示すことが出来ます。

使える幅が非常に広く、有効に使えば、コミュニケーションがより楽になるでしょう。

③伝えたいことを紙に書く

これは、ボディランゲージでは伝えきれない、細かい内容を確実に伝えるための方法です。

忙しい場面では、使うことは難しいですが、余裕があり、確実に相手に伝えたいことがあるならば、とても有効です。

仮にこの方法を使わなくても、メモ帳とペンを持っているだけで、「いざとなった時の備えになる」ので、他人との会話が避けれない時には、持ち歩くことを推奨します。

 

でも、実際にこの行動をするためには、最初は勇気がいると思います。

何故なら、ボディランゲージはともかく、話せるのに、紙に書いて見せられるというのは、相手にとって〝違和感〟があるからです。

初対面の人には止めておいた方がいいかもしれません。

もし、事前にメールなどでやりとりが出来るのであれば、相手に事情を伝えるのがいいでしょう。

あなたのことをよく知っている人であれば、躊躇わず使えばいいでしょう。

 

大事なことは、そんな「自分に〝罪悪感〟を持たない」ことです。

前に話しましたが、自分と他人は違っていていいのです。

むしろ、自分を受け入れた上で、今の自分にできることを善処しようとしている自分を褒めるべきなのです。勇気を持って行動している自分に、自信を持つこと。

 

以上3つお伝えしてきました。

もちろん、話せるなら話せるに越したことはありません。

そんなことはあなたも分かり切っていると思うので、これ以上は何も言う必要はないでしょう。

 

確かに、無視したり、顔を合わせないようにして、相手とのコミュケーションを避け続ける方が楽です。

しかし、その状態から変わろうと努力しない限り、吃音は改善していきません。

「自分の吃音」を前向きに受け入れ、正面から向き合う必要があるのです。

 

直ぐには上手くいかないこともででくるしょう。

ですが、あなたの意思で「自分の吃音」と逃げずに向き合い続けることが重要だということをどうか忘れないでください。

 

相手とコミュケーションを取る経験を増やしていきましょう。

純粋にあなたを嫌う人間なんて一人もいないのだから。

 

 

言い聞かせるのは逆効果

吃音について真の理解を深めることは克服していく為の大きな一歩となります。

「吃音は意識するほど悪化する。」

「他人は自分のことをあまり見ていない。」

「自分を生きること。」

これらを意識して毎日を生きることが重要です。

しかし、〝実際に話す場面〟でこれらを自分に言い聞かせても全く意味がありません。

むしろ、この行為は「吃音を克服すること」つまり、「吃音」を意識してしまっているので逆効果になります。

あなたにできるのは、日々の生活で、他人に関しての正しい知識を養っていくこと。自分中心には世界が周っていないこと。

それらを再認識した上で、他人に流されず、「自分を生きる」練習をしていくことです。

 

いいですか。これは練習なのです。

あなたは、これまで吃音に振り回され過ぎて、非吃音者に比べ、「現実の世界を〝正しく〟見る機会」が著しく少なかったのです。

だから、あなたは出来ないのではなく、やれていなかっただけなのです。

練習ですから、続ければ必ず「自分を生きる」ことができるようになります。

勉強やスポーツとは違い、成長が目には見えにくいですが、続けていくことで、

「あれ…俺(私)変われてきているかも…」

といつか変わりつつあるある自分に気づき始めるでしょう。

これが、「自分を生きる」第一歩です。

その時には、吃音はもうずいぶんと軽減していることでしょう。